視点死刑 懲役25年

キチガイじみた病に犯された男の記録

親との関係も悪化

彼が私に植え付けた観念群が親との関係でも邪魔をした。
親といるときですら『ふん。何が面白いんだ』『そんなTV番組面白くもないわ』といった具合にしらけた冷めた態度をとってしまうのであった。
私の母親は気が弱い人間だったから私のその態度に直ぐに屈服した。
バラエティー番組とかは好きで見る人でしょっちゅう大笑いしている人だったが私がそういう冷めた態度を取り出してから母親の笑いは消えた。
しかも、厄介な事に彼に言われた悪口等の非難を親にぶつけるのであった。
自分よりも強くて叶わない相手の不満を親にぶつけるのであった。
親にしてみればはた迷惑であったが私の場合不満の捌け口が親しかおらず、窒息寸前で合ったこともあって致し方がなかった。
親はもう亡くなっていないが当時の事を思い出すと心が痛む。親とはそんなに仲が良かったわけではないが、やはりそこは血の繋がりがある実の親。関係がそんなに良好出はなくても特別な繋がり感慨は持ってしまうもの。
私は母親と祖母の3人暮らしだったが、ここでは省くが些か親子関係に問題を抱えていた。

私の母親はTVドラマの『わたる世間は鬼ばかりしか楽しみがない』と言っていたが私がそういう覚めきった態度や彼に言われた悪口を親に言うようになってから、唯一の楽しみである渡る世間は鬼ばかりを見なくなってしまった。

私が彼に植え付けた観念に監視されて、TVも、ドラマも、映画も、音楽も、ゲームも素直に楽しめなくなったのと同様に私の親もTV番組等を素直に楽しめなくなっているかんじであった。

これも一種の転移現象で親を含めた他者との関係にずらされて反復的に繰り返されるのであった。

この反復脅迫にはほとほと手を焼いた。何も楽しめなくなるんだから。

未だにこの反復脅迫は完全に克服されておらず場が楽しい場面であればあるほど私は冷めきった態度をとってしまうのであった。

私はこんな自分が重苦しく大嫌いであった。私だってみんなと楽しみたい、彼女を作って恋をしてみたいという欲望は持つしあるのだか、なんというか恥の観念が邪魔をしてそれが出来ない。彼に小馬鹿にされるんじゃないかという恐怖が邪魔をして素直な行動に移せないのであった。

彼の視点がなければどれだけ楽か、彼の視点がない状態を創造してみるととてつもない解放感に包まれるのであった。
私にとって彼は重荷以外の何者でもなかった。

いまでも季節の変わり目になるとまだ心に些か自由がありそれなりに楽しめることがあった青年時代の思い出が甦り感慨深いものがあるがその時もほんの少しの時間の経過と共に過ぎ去ってしまい、憂鬱な毎日がはじまるのであった。