視点死刑 懲役25年

キチガイじみた病に犯された男の記録

罪悪感

私は罪悪感を感じやすい体質なのだがそこを利用されて罪の意識を植え付けられたと思う。
この罪悪感がとっても厄介で何をするんでも罪悪感が顔を出して邪魔をするのであった。
例えば女を作りたいと思えば罪悪感が発生して作れないのであった。勿論私は彼に散々人格を否定され続けてきたわけで単純に彼に攻められる事を恐れて何も出来なくされたと思われるが私が何も行動に移せない原因の1つに罪悪感が強い影響力を持ってしまったと思われる。

彼は私には存在を肯定してもらいたがってた。しかし彼に私は興味がないわけで彼はそんな私にイラついているようであった。
彼は私にその存在を肯定してもらいたく必死であった。当時の私には彼が何故そこまで混乱し必死なのかわからなかった。
たかが、私に冷たくされただけで何故そこまで必死になるのであろうか?私が思うに彼は私との関係性の中で安定した自我を築こうと画策したのであろう。仲がよかった頃はそれで自我が安定していたのであろう。しかし、彼は学校の中でもそんなに上手くいってないようだったし、家族の不満もよく聞かされていたので彼にとっては恐らく私との関係性がほとんど全てであったのだろう。それで私に冷たくされ関係性が崩壊したから自我の安定が崩れたのであろう。そこでもう一度私との関係性を良好に築く為に私に振り向いてもらいたかったのであろう。しかし、1度気分が冷めてしまったら昔みたいに彼の事が好きになることはない。そこで彼は自分に振り向いてもらいたく私に罪悪感をうえつけようとしたのであろう。彼は私の事をありとあらゆる手を尽くして私の事を否定しにかかった。私の人格や趣味などを否定するのであった。そんなことが長く続けば彼に注意を向けずにはいられない。彼の事が気になって仕方がない。私は最初は彼に冷たくした時に何の罪悪感も負い目も感じていなかった。しかし彼にありとあらゆる事を否定されてから彼に対して負い目をもつようになってしまった。更に彼は自分の存在を私の中に植え付ける為に自分の事を絶対化した。私は彼の策略にものの見事に引っ掛かり彼の事が絶対的な存在に見えてくるのであった。

私に罪悪感を植え付ける為に自分を絶対化するのは絶対条件であった。何故なら罪悪感を植え付ける為には自分が正しく自分自身を正当化する必要があるわけである。自分自身に正当性があり間違いがなく完全に正しくなければ罪悪感を植え付けるのは難しい。彼は事あるごとに私に自分がいかに優れた人間かを言ってきかせた。私は無意識レベルでは彼の言っていることを信じておらず疑っていたのだが意識の表面では彼の言葉を鵜呑みにし彼が絶対的な存在に見えるのであった。従って彼が否定した数々のことは私に罪悪感を植え付けるのには充分であった。

彼は私に自分の好きな物を押し付けてきた。私にはそれが重荷で仕方がなかった。私は彼の押し付けてくるものには興味がなかった。しかし、彼は押し付けを止めなかった。私は彼の押し付けに屈してしまい、彼の押し付けたものを取り入れるのであった。
ある時彼は私に宮崎駿紅の豚を私の家に持ってきて今すぐこの映画を見てくれと言ってきたことがあったのだが、私は後で一人で見ると言っても彼は私の言うことを聞かないのであった。私は何度も何度も後で一人で見ると言っても全く聞く耳をもたなかった。それで仕方がなしに紅の豚を見ることにした。そんな状況では映画なんか楽しめるわけはないのである。彼は私の事を信じていなかったのであろう。紅の豚を見ないと思ったのであろう。何故紅の豚を見せたかったかは謎だが私は彼の押し付けが息苦しくて仕方がなかった。

この視点死刑が厄介なのは事あるごとに彼が顔を出すのであった。何かに集中してる時、何か考え事をしてる時、何も考えずぼーとしてる時等にいちいち彼が顔を出すのであった。これは一種のフラッシュバッグ現象であるがこのフラッシュバッグ現象が上手く機能する為には罪悪感を植え付けるのは必須であった。私の中に「お前は間違っている。俺が正しい」という観念が巣くっておりこの観念は強力でそう簡単に弾き出すことの出来ぬものではなかった。彼は被害者意識が強かったのだろう。自分は間違っていないと思いたかったのだろう。正当性は自分の側にあり私が間違っていることにしたかったのであろう。その為に彼は自分を絶対化し私を裁きたかったのであろう。彼は自分の正当性を証明する為に間違ったやり方にでたのであった。(つまり彼はただの普通の人間に過ぎないのに自分を絶対化し私を騙そうとした)そして彼自身もその事をしっているのであった。彼はある時私には「お前は何も考えないよな」と言ってきたがこれは私に俺がなぜお前に対して冷たく当たるのかを考えろと言っているようであった。しかし、これは無理な要求であった。私は無意識的には彼の魂胆、意図を見抜いていたし、そんなことを言われれば腹がたつのだから彼の意向にそうことはなかった。

私は自分の人生を満喫したかった。自由を満喫したかった。しかし罪悪感が邪魔をして何も出来ないのであった。そうして私は若い頃に何も出来ずに過ごし、気付いたらいい歳したおっさんになっていたわけである。後悔が物凄く過去を振り返れば無駄に時間を過ごしてしまったと思い悔恨の念に取り付かれ泣きそうになるのである。

私がもうちょっと強く賢かったらこんな目にあわずにすんだであろう。それなりに充実した青春時代を過ごせたであろう。彼に反抗出来たであろう。全ての原因は私が弱いことであり、そして弱い自分を認めたくないことと、彼の抑圧的な態度に屈した屈辱感を認めたくないことにあった。仮に私が彼に批判されたときにその都度言い返せてれば彼が絶対的な存在として君臨することもなかったし奇妙な観念が内在化することもなかったし罪悪感や負い目を感じて人生が制限されることもなかったであろう。友達と有効な関係を築けたであろうし彼女も若い頃に作れたであろう。実に悔しい限りである。

時は戻らない。甘んじて現実を受け入れる他にないのである。