視点死刑 懲役25年

キチガイじみた病に犯された男の記録

負い目と恐怖

私が彼に対する負い目が原因で何も出来なくなったと前の記事で説明したが、私が自分の人生を楽しもうとすると負い目が湧いてきて何も楽しめないのであった。この負い目は辛いものであった。
彼は事あるごとに自分がいかに不幸な人生を歩んできたか私に語った。これはもちろん私に負い目、或いは罪悪感を植え付けるためであったが私は何か彼の事が可哀想になり自分だけ楽しむことに負い目を感じるのであった。勿論彼はそれを計算して私に自分がいかに不幸か語り私が負い目を感じやすい人間に仕立てたと思われるが、彼は自分の気持ちをわかってもらいたがってる様子であった。彼は自分を絶対化すると同時に自分がいかに不幸な人間かを語るのであった。従ってわたしは彼に対して負い目と罪悪感を感じるようになったのである。絶対的存在者として私の前に君臨する彼は私に罪悪感を与え、不幸な彼は私に負い目を与えるのであった。彼はどう考えても私を縛り付けて置くために罪悪感と負い目を与えたと思われるが私は彼の策略にものの見事にひっかかったのであった。彼の目的は私の事を縛り付けて何もさせないようにすることだったと思われるがその策略はものの見事に成功したのである。

彼はそれ以外に私に恐怖を植え付けた。彼は事あるごとに私を否定した。私は彼に反抗できなかった。彼に反抗的態度をとるのは恐ろしいからである。私が何か人生を楽しもうとすると自分の中に恐怖が走るのであった。それで何かしようとする度に私に恐怖がはしるのである。とにかく彼は恐らく劣等感と嫉妬心の塊で私が人生を楽しことが耐えられないようであり、そこで私を縛り付けて置くために、罪悪感、負い目、そして恐怖を植え付けたと思われるのである。私は自分が何も出来ない事の原因にこれらの事が関係してると思われるが、恐怖を感じてる自分を認めたくないことが私をして何も出来ない人間になった最大の原因であった。つまり彼に責められ否定されることが原因というよりも彼の圧力に屈し彼の事を恐ろしいと感じる自分を認めたくないということが私が何も出来なくなった第一の原因であった。私は彼に反抗したかったが何も殆ど反抗できなかった。私は直接彼に文句を言えないものだから頭の中でしょっちゅう彼の悪口を言っているのであった。これは強迫染みていた。ことあるごとに彼の事が思い起こされその度に彼に対して頭の中で彼に対して悪口を言っているのであった。本当は私は彼に直接悪口を言いたかったのであるがそれは恐ろしくて出来ない。それで一時的なストレス発散というかその場しのぎの為に頭の中で彼に悪口を言うのだが、これはいつまでも経っても消えないのであった。直接彼に悪口を言い返すか別の友達に文句を言わない限り消えないのであった。

彼は私に自分の存在を理解してもらいたく必死であり、自分の元から私が離れていくことを極端に恐れているようであった。彼は私の友人関係も否定しにかかった。私の友人を否定して私の元から友達を引き離そうとするのである。彼は自分が孤立することを恐れていると同時に私に友達がいることに嫉妬していたのであろう。彼は誰といる時でも「俺は仮面を付けて生きている」と語っていたから誰とも繋がりを感じる事が出来ないのであったのであろう。それで友達のいる私に嫉妬して関係を引き裂こうとしたのであろう。

精神分析の教えに従うと神経症の原因は恐怖の対象となる真の原因を抑圧して別のもっともらしい原因を持ってきて病的症状とその偽の原因とを繋げているから起こると考えるがこれは私にも恐らく当てはまると思われる。

真実の原因は彼に怯えている自分を認めたくないことであり突き詰めて考えると自分の側に原因があり自分の無力さを認めたくないということにあるのであり、彼の側に原因があり彼を責めているだけでは何も解決しないのであった。この真の原因、認めるのが苦痛な真の原因を凝視しないことには何も解決しないのであった。しかし、それは私にとっては酷い苦痛であり酷い無力感を引き出すのであった。でも、その事実を認めない限りは神経症の解決は不可能であった。

今は昔と違ってその恐怖の根元を凝視できるようになってきたが、いまでも彼に対する悪口は消えない。神経症はまだ治っていないのである。

あともう1つ負い目を感じる原因の1つに彼と一時期仲が良かったこと、彼との関係が実質破綻しても一応それなりに楽しい思い出があることがあったからだと思われる。彼との関係が破綻する以前には彼とは非常に仲がよく遊んでいたし1番の友達であった。その後私が彼といることが嫌になり関係が破綻したわけであるが、彼は私との関係を必死に繋ぎ止めようとし、それは私には重荷以外の何物でもなかったが彼の圧迫に屈し関係を続けなければならなくなったのである。しかし、そんな出鱈目な関係でもそれなりに楽しい思い出があるのであった。繋がりは欺瞞的だがほぼ毎日遊んでたしそれなりに楽しい思い出があるのである。
で、そういう楽しい思い出が負い目となり彼の元から離れることが出来ないのであった。

私は彼との付き合いが重荷であった。彼とは付き合いたくなかった。しかしそれは今まで説明した通り無理なのであった。

私が神経症になった原因は負い目と罪悪感をかんじてること、そして彼に恐怖を感じていること、彼に反逆出来なかったことにあり私の無知と弱さが原因であるが神経症の解決は難しいのであった。

私がもっと強く賢かったら神経症になることはなかったであろう。もっと楽しい人生を歩めたであろう。私は何も出来なく約25年を生きてきたわけで楽しい思い出がほとんどない。20代はまさに暗黒期で地獄のような人生であった。あの時ああしてれば、こうしてればばかりで過去は後悔と共に甦る。非常に辛い人生だが現実を受け入れる他にないであろう。

罪悪感

私は罪悪感を感じやすい体質なのだがそこを利用されて罪の意識を植え付けられたと思う。
この罪悪感がとっても厄介で何をするんでも罪悪感が顔を出して邪魔をするのであった。
例えば女を作りたいと思えば罪悪感が発生して作れないのであった。勿論私は彼に散々人格を否定され続けてきたわけで単純に彼に攻められる事を恐れて何も出来なくされたと思われるが私が何も行動に移せない原因の1つに罪悪感が強い影響力を持ってしまったと思われる。

彼は私には存在を肯定してもらいたがってた。しかし彼に私は興味がないわけで彼はそんな私にイラついているようであった。
彼は私にその存在を肯定してもらいたく必死であった。当時の私には彼が何故そこまで混乱し必死なのかわからなかった。
たかが、私に冷たくされただけで何故そこまで必死になるのであろうか?私が思うに彼は私との関係性の中で安定した自我を築こうと画策したのであろう。仲がよかった頃はそれで自我が安定していたのであろう。しかし、彼は学校の中でもそんなに上手くいってないようだったし、家族の不満もよく聞かされていたので彼にとっては恐らく私との関係性がほとんど全てであったのだろう。それで私に冷たくされ関係性が崩壊したから自我の安定が崩れたのであろう。そこでもう一度私との関係性を良好に築く為に私に振り向いてもらいたかったのであろう。しかし、1度気分が冷めてしまったら昔みたいに彼の事が好きになることはない。そこで彼は自分に振り向いてもらいたく私に罪悪感をうえつけようとしたのであろう。彼は私の事をありとあらゆる手を尽くして私の事を否定しにかかった。私の人格や趣味などを否定するのであった。そんなことが長く続けば彼に注意を向けずにはいられない。彼の事が気になって仕方がない。私は最初は彼に冷たくした時に何の罪悪感も負い目も感じていなかった。しかし彼にありとあらゆる事を否定されてから彼に対して負い目をもつようになってしまった。更に彼は自分の存在を私の中に植え付ける為に自分の事を絶対化した。私は彼の策略にものの見事に引っ掛かり彼の事が絶対的な存在に見えてくるのであった。

私に罪悪感を植え付ける為に自分を絶対化するのは絶対条件であった。何故なら罪悪感を植え付ける為には自分が正しく自分自身を正当化する必要があるわけである。自分自身に正当性があり間違いがなく完全に正しくなければ罪悪感を植え付けるのは難しい。彼は事あるごとに私に自分がいかに優れた人間かを言ってきかせた。私は無意識レベルでは彼の言っていることを信じておらず疑っていたのだが意識の表面では彼の言葉を鵜呑みにし彼が絶対的な存在に見えるのであった。従って彼が否定した数々のことは私に罪悪感を植え付けるのには充分であった。

彼は私に自分の好きな物を押し付けてきた。私にはそれが重荷で仕方がなかった。私は彼の押し付けてくるものには興味がなかった。しかし、彼は押し付けを止めなかった。私は彼の押し付けに屈してしまい、彼の押し付けたものを取り入れるのであった。
ある時彼は私に宮崎駿紅の豚を私の家に持ってきて今すぐこの映画を見てくれと言ってきたことがあったのだが、私は後で一人で見ると言っても彼は私の言うことを聞かないのであった。私は何度も何度も後で一人で見ると言っても全く聞く耳をもたなかった。それで仕方がなしに紅の豚を見ることにした。そんな状況では映画なんか楽しめるわけはないのである。彼は私の事を信じていなかったのであろう。紅の豚を見ないと思ったのであろう。何故紅の豚を見せたかったかは謎だが私は彼の押し付けが息苦しくて仕方がなかった。

この視点死刑が厄介なのは事あるごとに彼が顔を出すのであった。何かに集中してる時、何か考え事をしてる時、何も考えずぼーとしてる時等にいちいち彼が顔を出すのであった。これは一種のフラッシュバッグ現象であるがこのフラッシュバッグ現象が上手く機能する為には罪悪感を植え付けるのは必須であった。私の中に「お前は間違っている。俺が正しい」という観念が巣くっておりこの観念は強力でそう簡単に弾き出すことの出来ぬものではなかった。彼は被害者意識が強かったのだろう。自分は間違っていないと思いたかったのだろう。正当性は自分の側にあり私が間違っていることにしたかったのであろう。その為に彼は自分を絶対化し私を裁きたかったのであろう。彼は自分の正当性を証明する為に間違ったやり方にでたのであった。(つまり彼はただの普通の人間に過ぎないのに自分を絶対化し私を騙そうとした)そして彼自身もその事をしっているのであった。彼はある時私には「お前は何も考えないよな」と言ってきたがこれは私に俺がなぜお前に対して冷たく当たるのかを考えろと言っているようであった。しかし、これは無理な要求であった。私は無意識的には彼の魂胆、意図を見抜いていたし、そんなことを言われれば腹がたつのだから彼の意向にそうことはなかった。

私は自分の人生を満喫したかった。自由を満喫したかった。しかし罪悪感が邪魔をして何も出来ないのであった。そうして私は若い頃に何も出来ずに過ごし、気付いたらいい歳したおっさんになっていたわけである。後悔が物凄く過去を振り返れば無駄に時間を過ごしてしまったと思い悔恨の念に取り付かれ泣きそうになるのである。

私がもうちょっと強く賢かったらこんな目にあわずにすんだであろう。それなりに充実した青春時代を過ごせたであろう。彼に反抗出来たであろう。全ての原因は私が弱いことであり、そして弱い自分を認めたくないことと、彼の抑圧的な態度に屈した屈辱感を認めたくないことにあった。仮に私が彼に批判されたときにその都度言い返せてれば彼が絶対的な存在として君臨することもなかったし奇妙な観念が内在化することもなかったし罪悪感や負い目を感じて人生が制限されることもなかったであろう。友達と有効な関係を築けたであろうし彼女も若い頃に作れたであろう。実に悔しい限りである。

時は戻らない。甘んじて現実を受け入れる他にないのである。

文句を言い返したくて仕方がなかった

私は彼に人格や趣味を散々否定されまくったわけであるが、文句を言い返すことが一度も出来なかった。その都度文句を言い返せてればここまで苦しむこともなかったであろう。彼は私が文句を言い返せないことに味をしめたようで私にだけ高圧的な態度をとってくるのであった。私以外の人間にそういう態度をとったら嫌われるのがわかっているから、私にだけそういう態度をとってくるのである。彼の言うことには間違いがないと洗脳されていたから何も言い返せなかったわけであるが無意識的には彼の言動に不満を感じ、当時の私は文句を言い返したくてたまらなかったと思われる。言い返したくても言い返せなかった不満が心に溜まり私の事を苦しめた。

何て言うか言葉で説明するのは難しいのだが、言い返せなかった言葉達が心の中で淀み心の流動性を奪ったんじゃないかって気がするのである。何も言い返せなかった苦しみがフラッシュバック現象のようにその都度その都度甦る。これが私の足を引っ張るのである。私の不満はマックスであった。彼の事が憎かった。彼に対する憎しみも抑圧してたから無意識的本音としては彼に対する不満だらけでもう爆発寸前であった。

彼は自分の事を絶対化してるわりには言ってることに疑問符がつくことが多かったし矛盾だらけでどちらがお前の本音なんだよと言いたくなることが多かった。しかし、私は彼に不満を言えなかった。実に屈辱的で悔しい限りである。もっと文句を言えてればここまで病むこともなかったであろう。

彼は口を開ければ自分がいかに優れた人間かことあることに語ったし他人の悪口も結構多いし、勿論私のことを否定しまくった。彼が自分の事を絶対化し自慢話をするときは本当に自分に酔いしれており、実に忌々しい限りであった。今思い出しても腹が立ってくるが、文句を言えなかったのはしょうがない。

私がもっと強く賢ければ良かったんだ。彼は言い返せられれば何も言い返せない性格であった。だから、私が何も言い返せないように高圧的な態度に出たのであろう。彼は私が思っている以上に強い人間ではなかったのかも知れない。彼がある人物と口論になり言い負かされたところを見たことがある。彼は言い負かされたその後に自分の事を言い負かせた人間に謝っているのである。私も言い返せば良かった。この何も言い返せない屈辱が私の人生を狂わせた。彼に言い返せないとしても彼に対する不満を友達に話せれば良かったが、私は屈辱を飲み込むだけで誰にも文句を言えないのであった。文句を言えない状態は辛いものであった。悔しかった。屈辱的であった。彼は恐らく自分に大して自信がなく、口論になっても簡単に論破されると思っていたのであろう。そこで何も言い返せない私が餌食にされたのであろう。かれのストレス発散用の受け皿として存在しているようなものであった。せめて彼に対する不満を誰でもいいから語る事ができてればよかった。

彼にトラウマを植え付けられて25年。この間にしたいことがほとんど何も出来なかった。自信も奪われたし、洗脳されていたので彼の言いなりのロボットのようであった。戻れるのであれば今の記憶を保持したままあの頃に戻りたい。しかし、時間は止まらず流れ続けあの頃に戻ることは出来ない。実に悔しい。トラウマを克服出来てももういい歳したおっさんである。泣けてくる。彼は私が25年間ほとんどしたいことが出来ない私の不幸が満更ではないであろう。劣等感補償としての嫌がらせだったと思われるからである。私は絶望と敗北の内に人生を終えるのであろうか?それはわからないが、彼は私にした事に関しては何とも思ってないようである。実に非情で腹立つ限りだ。彼のせいで私は一度しかない青春時代を無駄にしたのだから。叩き殺してやりたい気持ちで一杯である。しかし、叩き殺してやったところで失った時は戻ってこないわけであるが・・・。
悔しい。本当に悔しい。私がもっと強く賢ければこんなことにならずに済んだのに。私の未来は絶望しかない。

心の中に居座られた

ありとあらゆる観念を植え付けられた話しはしたがその観念が私の心の中心に居座わってしまった。
そうすると今まで自分にとって都合の良いというかしっくりくる観念を元に生きてたのが他人の観念が横から入ってきて私の足を引っ張るようになってしまった。そして、自分の好きな物や好きな事を内面化しようとすると横から入ってきた観念が弾き出すのであった。何も内面化できない。これは全てのことに関して邪魔するのであった。例えば何かを覚えようとする時も邪魔するのであった。それで物覚えが酷く悪くなりパソコンは打てないし車の運転も出来ない人間になってしまった。(車の免許は取得したが)で、その植え付けられた観念は消そうとしても消えない。いや消そうとすればするほど心にまとわりついてくるのであった。これは非常に厄介な観念であった。何も出来ない、何も楽しめないのであった。
私は窮地に立たされた。仕事もろくに出来ない人間になるし例えばテレビを見て楽しいと感じても素直に楽しめない。音楽を聴いても、本を読んでも楽しめない。私は植え付けられた観念に苦慮した。
辛かった。本当に辛かった。今でも観念に苦しめられて辛い。いつまでこの苦しみは続くのか。全くやってられない。私はこの植え付けられた観念に20年以上苦しめられたきたわけである。

彼に観念を植え付ける意図があったかどうかだが私はあったと思う。ありとあらゆる観念を植え付けて私を遠隔操作しようとしたのではないか。彼は私の目には自分の都合のことしか考えているようにしか見えなかった。前にも語ったが彼は自分の趣味とかを私にしつこいくらい奨めてくるのであった。「何々が理解出来ない奴は馬鹿」と言って私に奨めてくるのであった。私には有り難迷惑な話で彼の趣味などどうでもよかった。自分の趣味に時間を割きたかった。しかし、彼は私の人格改造を目指してたとか思えずありとあらゆる観念を植え付けてくるは、趣味を押し付けてくるはで私は窒息寸前であった。そして観念が何をするんでも邪魔するので鬱陶しくてしょうがないのであった。未だに私の心の中心に彼が植え付けた観念が居座っている。

彼が植え付けた観念は
・俺の事を尊敬しろ、崇拝しろ
・俺が認めたものだけが正しくそれ以外の物は身に付けてはならない
・俺の事を非難してはならない、他人に告げ口をしてはならない
・俺の都合に付き合い何事も優先すべきである
等である。

更にこの植え付けられた観念が視点に変質して私を監視するのであった。まさに視点刑罰である。彼は確実に私との関係を繋ぎ止めておく為に観念を植え付けたのは確実だとおもう。自分の目が届かない場所で自分の都合の悪いように動くのを静止する為に。

彼は私に冷たい態度をとられてから焦ってるようであった。酷く傷つき落ち込んでいるようであった。私には何故そこまで焦ってるのか謎であった。そして、彼は涙ながらに友情を復活しようと四苦八苦し始めるのである。それはまるでいじましい努力であった。
それが私にとっては重荷でしかなかった。彼は私の趣味を否定して自分の趣味を押し付けてくるし、態度が悪くまるでわがままな悪ガキのようであった。

とにかく私の心の中心に居座ってしまった観念は消すことは不可能である。そうかと言って何も絶望する必要はない。観念がどういう過程、どういう理由で植え付けられたのかを表面化することによって自分の支配下に置くことが出来る。難しい事ではあるがやるしかない。それで大して幸福になれなかったとしても。

私が変容した理由を彼は無意識的には知っていた

彼の人格攻撃に屈服してネクラなキャラクターになってしまったわけであるが、彼は私に対してもうちょっと明るいキャラクターになればとほざいていたが、無意識的には私が暗くなった原因が自分に原因があると知っていたと思われる。

私は、家庭内でちょっとした問題を抱えておりそれが原因で長いこと無職だったわけであるが、その家庭内の問題も彼の植え付けてきた様々な観念に邪魔されて解決が非常に困難なものになってしまっていた。親子間の問題事に関して言うと我が家は問題が起きても我が家なりの問題事を解決する法則があっあり、それはお互いの不満を互いにぶつけ合って、ストレスを発散したら自ずと問題事が解決の方向に向かうものであったのだが彼の植え付けた観念が邪魔をして、親子関係がなんていうかちぐはぐなものになってしまい、上手いことストレスを発散出来ないのであった。彼のせいで親子間の関係が破綻寸前まで追い詰められたのは以前説明したが、問題処理が上手くいかず、関係がギクシャクするのであった。

それで、私が長いこと無職だと言うことを彼は私の友人から聞かされて「あいつは人生なめてる」とほざいていたらしいのだが、私が無職になったのも自分に原因があったと心のどこかで知っていたのではなかろうか。

私を人格崩壊寸前まで追い詰めたことも、無意識的には知っておりその事に関して負い目があるから私との関係を切ろうとした。というのも彼はある時私の家に来たときに中学の時に撮った写真の自分の写ってる部分だけを切り取りに来たかことがあった。これは一種の絶縁宣言だが、いちいち彼の行動は虫酸が走るが、彼はあれだけ私を自分の元に引き留めて置くことに必死だったくせに、ことが自分の思い通りにいかなくなると突然関係を切ろうとしてきたのである。私の中に植え付けた観念はほったらかしにして、関係を切ろうとしてきたのである。糞虫酸が走るが、私の側にも原因がないとも言えない。言い返せなかったことや私の考え方が根本的に間違っている可能性もあり、原因を彼だけに還元することは出来ない。しかし、彼はことあるごとに私の事を非難してきたし、それが原因でネクラなキャラクターになってしまったのは事実。あの時言い返せてればまた未来は違ったものになったのだろうが、終わってしまったことはいくら嘆いてもしょうがない。現実を受け入れる他なく屈辱的だが終わってしまったことはしょうがない。

私は人生の膨大な時間を無駄にすごしてきたわけで今更取り返しもつかないし、絶望と共に人生を終えるであろう。

どんなキチガイ染みた病にも社会性がある

視点死刑とは心の中に植え付けられた観念が視点へと変質し、常に内面を除かれ内側から支配さる状態を指すがこのような気味の悪い病にも社会性があると思われる。

例えば松本人志の「遺書」がそうである。この松本人志の「遺書」が日本のお笑い会に多大な影響を与えたことに異論はないだろうが、お笑い会のみならず一般社会にも多大な影響力をもったのもまた事実であろう。

一般人が「俺はどちらかと言うと突っ込みタイプ」とか「俺はどちらかと言えばボケ」だなとか言い出したのはどう考えても「遺書」以降であるし、当時はみんな松本人志の真似をしていた。

「遺書」の中にちりばめられたさまざまな言葉、哲学、思想がテレビ会を良くも悪くも「汚染」したのも事実であろう。

「遺書」以降日本のテレビ番組がつまらなくなってしまったのは疑いの余地の無いところである。

で、その理由として松本人志の言葉が観念化し、テレビ会を凝視する視点へと変質してしまったと考えることは出来ないだろうか。

このボケや突っ込みをしたら松本人志につまらないと思われるの恐ろしく、笑いの質を変えざるを得なくなってしまった可能性はないだろうか?

松本人志的なあるいはダウンタウン的な笑いが日本中を席巻し芸人も一般人もパクってたし、はっきし言ってそれはつまらぬものでしかなかった。

日本のテレビ番組は「遺書」以降どんどんつまらなくなっていった。たとえばビートたけしが昔に比べてつまらなくなったのも、素直に笑いたいけど笑えなくあの、ビートたけし特有の「ニヤリ」とした笑いかたも「遺書」以降によく見られる現象である。私はビートたけしのバイク事故も「遺書」に敗北感を感じたビートたけしの自殺だったという説を持っているがどうであろうか?

最近のお笑い芸人は何でもかんでも突っ込み、しつこいし、これは浜田雅功のパクりとしか思えないし、ワイプに映るタレントの笑い顔も「笑わなきゃならず笑ってる」という感じで素直な笑いではない。
最近の笑いはボケから突っ込みまで全てが予定調和でつまらないし、そこにはやはり松本人志の「つまらない」という視点があり「つまらない」と思われるのが怖いからではなかろうか。

どう考えても松本人志の「遺書」以降日本のテレビ番組は変質してしまった。(そんななかお笑いの質が遺書以降も全くぶれなかった島田紳助は流石と言わざるを得ず引退が非常に惜しまれる)

笑いコンビは別にどちらがボケでどちらが突っ込みという決まり事なんかないのはたとえば、とんねるずウッチャンナンチャンを見ればあきらかで、その時々の状況に応じてどちらが突っ込んだりボケたりすれば言い訳で別にお笑い形態としては、必ずしもどちらがボケでどちらが突っ込みといった役割分担が必須というわけではない。
ウッチャンナンチャン的、とんねるず的なお笑いコンビがもっといてもいいわけである。

ダウンタウン以降、ほとんど全ての笑いコンビがボケと突っ込みの役割分担がはっきりしており、今は昔ほど酷くないが少しでもダウンタウン的な要素があるとつまらなく感じるのであった。

兎に角松本人志の視点がテレビ会に内在化されてしまったことは疑いようのない事実である。

明石家さんまですら、松本人志の視点を感じながら番組に挑んでるのも全く事実であろう。
ボケと突っ込みがしつこく見てて楽しいとは思うが正直疲れる。

ダウンタウンも歳をとり今年で55歳である。流石に昔程の輝きはないが、ダウンタウンがどんどんつまらなくなっていくのと日本のテレビ番組がつまらなくなっていくのは軸を一にしており、繋がっているとは言えないか。

番組制作スタッフも本音を言えば正直松本人志の視点が邪魔で重苦しく感じているのではなかろうか?

私に視点死刑の刑が執行されたのも、「遺書」の発売年とほぼ被るし、私を自分の支配下に置こうとした彼は松本人志の芸風をよくパクっていた。

気味が悪く絶対に誰も同じ目にあいたくない視点死刑という刑罰も実は彼のオリジナルではなく社会性があったのであり、私を支配下に置こうとした彼も時代の手のひらの上で踊らされてたのである。

彼は私から主体性を奪いたかったのだろう。

彼が今まで私にしてきたことを考えると目的は複数あり、ある特定の1つだけの目的だけで洗脳していなかったことは確かだが、しかし、目的を達成するためには何か巨大な支柱、中心的動機が必要不可欠である。

動機は私を裏側から支配し手懐けておき、自分の都合の良いように利用、支配することだがそれを達成するために必要な中心的目的は私から主体性を奪うことであった。

自分が自分の人生を生きているという感覚を奪い、支配することであった。

まず、主体性を奪うことは彼にとって色々と都合が良かったと思われる。

人間、自分の足で立ちしっかしりとその足で大地を踏みしめ一歩一歩歩いて初めて自分が自分の人生を生きてると実感出来る。

私はその主体性を奪われ、自分が自分の人生を生きている感覚を損失してしまった。

どこか薄暗く霧のかかった靄のなかを歩いているような感覚でちょっとした鬱状態であった。

私からこのように主体性を奪うことは、自分が自分の人生の主人公であるという感覚を奪い、自分の元に常に手懐けておき、好きなように利用することができる、非常に都合のよい人形みたいなものであった。

主体性のある人生とは自分の頭で考え、自分の足で歩くことであるが、私の場合それが不可能になってしまった。

これは彼にとって非常に好都合であった。
裏側から支配するために私にとって都合の悪い観念を植え付けて外部から遠隔操作をする。

実際私は自分を見失い彼の好みそうなものを積極的に自分の中に取り入れようとするのであった。
私は彼の模倣品であり、都合のよい人形でしかなかった。

彼は私の好むものを否定しにかかった。私のマンガ本を投げ捨てる愚行に出ることもあった。その時に抵抗出来なかったのが悔やまれるが、過ぎ去った日々はもう二度と取り戻せず屈辱は受け入れるしかない。

当時のことを思い返すと彼の事を叩き殺してやりたくなるが終わってしまったこといくら後悔してもしょうがない。

深い溜め息が漏れる。

失った時間は返ってこない。自分を見失った25年であった。

取り返しの付かないことをしたと涙に暮れる日々である。