視点死刑 懲役25年

キチガイじみた病に犯された男の記録

コピー品としての私

彼の非難、否定、中傷に屈伏させられてから暗いキャラクターになったと前の記事に書いたがほんの一時明るいキャラクター時代があった。高校の3年間である。

何故明るいキャラクターだったのか。彼を怖れる私は彼をコピーすることによってその恐怖を誤魔化しにかかったのである。
これは、意識的に行われていたわけではなく、自我の無意識的操作で、ある種の自己欺瞞であった。

彼に人格や趣味を散々非難、否定されて自分自身でいられなくなり自分自身でいることが、怖い、恥ずかしい、罪深い人間であるように感じられて恐ろしい彼をコピーするようになってしまったのであった。

彼は大のお笑い好きで一種のお笑いキャラだったが私はそんなキャラを模倣することによってお笑いキャラになってしまった。

明るかったのはそんなのお笑いキャラクターを演じていた高校3年間である。これはある種の屈辱的逃避であった。

私は元々明るい正確でお笑い番組も好きでよく観る人間ではあっはたが決してお笑いキャラではなかった。クラスにかならずひとりかふたりはいるただの明るい中学生、たまに授業中にはしゃげて周りを笑わせにかかる普通の中学生に過ぎなかった。

一方彼は典型的なお笑いキャラであって、芸風そのものが如何にも芸人然としたもので、いつかはお笑い芸人になりたいと夢を語っていた(今ではそんな彼も明るいキャラクターでは無くなってしまったようだが)

私はそんな彼を模倣したのだ。彼の元から離れたいという本音を無意識へと抑圧し、彼に気に入られるためにお笑いキャラへと変貌していった。これは大変屈辱的なことであるが私が生きて行くためには彼を模倣する以外に道はなかった。

私はどちらの屈辱的状態を生きるか二者択一に迫られていた。彼の非難を浴びながらも自分自身を貫き通すか、彼の非難からのがれる為に彼を摸倣し彼に気に入りられるキャラとなり生きるか。

私は後者の屈辱を選択したのであった。屈辱は屈辱として受け止めて自分自身を貫き通す道もあっし、本来ならばそうすべきところだがやはり、その屈辱は耐え難くまた本来の自分を出すのが恥ずかしかったのであった。 散々お前は恥ずかしい奴だという観念も植え付けられてたので、、

コピー品としての、私はただのお笑いキャラクターだけではなく彼の尊大さ誇大妄想的自惚れも模倣していたのであった