彼は見捨てられ恐怖があったのではないか
彼の付きまとい、誹謗中傷、監視癖にはほとほと手を焼いたが、今にして振り返ってみると彼は見捨てられるの怖い病だったのではないかと気がしてくる。
わたしが人間不振に陥り誰とも会話しなかった時期があったことは確か前の記事にも書いたが、そんな時彼は
私の話し相手になってくれるのであった。
心優しき青年が私の為を思って話し相手になってくれるというはよりも、はっきしいって私に付きまとっていた表現の方がピッタリ当てはまっていたと思う。
当時はなぜそこまでわたしに付き添ってくれるか謎だったが、今にして思うと私にしがみついてたと思う。
授業の合間の10分やすみになると。大概の生徒は窓際に集まりわいわいと談笑したりするものだが私は窓際に行かず自分の席に座ってじっと10分休みが終わるのを待っていた。
すると、彼が私の席に来て話し相手に、なってくれるのである。
別に彼のことはつそんなに好きでもなく寧ろ重荷に感じているくらいだったから別に嬉しくもなんともなかったが、寧ろ此方が彼の話し相手になって付き合っているようにも受け取れた。
前の記事にも書いたが彼が私の家に私用で訪れた際に用件もすんで家に買えそうとすると、玄関扉に足をかけて扉を絞まらせないようにした。
心底ぞっどしたが、私は何かとんでもない人間を友人にしてしまったのではないかと非常に後悔した。
最初は自分から近づいて関係を深めたにも関わらず途中からいや気がさしてこちらから関係を切ってしまったのは何とも情けない話だが、会う度に誹謗中傷、自分を大きく見せるための誇大妄想的自慢話、これらのものが重荷にとなって自分にのし掛かってきた。
これ等の全ては私との関係を維持するための工作だったと今では思っているが、当時を振り返ってみると、明らかに自分の都合のことしか考えてない彼が見えてくる。
私は騙されていたのだと思う。彼が次の人間関係構築のために一時の間見えない鎖で私を常に繋いで逃げ出さないようにし、所謂キープ君としての役割を果たしているだけであった。
そしてそのことを心の何処かで知っているのである。当時の写真をみると、それなりに楽しそうにしているのだが(途中から仲間との関係が回復した)、どこか心の晴れないどんよりとしめった空気感が漂っており心の晴れない状態で全身に靄のかかっている感覚であった。