視点死刑 懲役25年

キチガイじみた病に犯された男の記録

洗脳


友達にありとあらゆる観念群を植え付けられ内側から支配されてた時期があった
したいことをしたいように、やりたいことをやりたいように出来ない、好きなものは好きと素直に言えないのであった
したいことをしようとしたり、例えば好きな音楽を聴くと内的にストップがかかって何も出来ない、何も感動出来ないのである
これはある種洗脳の一種だけど、生き霊の呪いだなとも思った
植え付けられた観念群が心の中で視点に変質して心の中を常に覗かれてるのだから

その時はまだ観念群の存在に気付いておらず、なんとなく居心地が悪く自分にはどこかおかしいところがあると感じていたので精神分析関連の本を読みまくった。読みまくってる内に俺の中に俺のことを自由にさせまいとする観念が植え付けられてたことに気付いた

気付くまでには13年かかった
気付いたからそれで終わりということではなく完全にではないが、観念群から解放されるまでにそれから12年かかった
この呪いの観念のお陰で青春時代はお釈迦だよ
ったく、やってらんねーよ

俺が鬱々とした人生を生きてる時に彼はどういう人生を送っていたのであろうか
それは知らない 知らないけど、俺の事を奈落の底に叩き落として精神的に優位に立つ目的があったと思われるので、彼の幸福は俺の不幸のお陰であろう
人間、罪を犯した場合何の負い目や罪悪感を感じないということはあり得ないので、彼の無意識の中では今度は自分が俺の生き霊に呪われて不幸になるかもしれないという恐怖心があるのかもしれない

人を呪わば穴2つとも言うし今度は彼が不幸になる番であろうか

それは知らない 知らないけど彼の不幸を望んでいる自分がいることは否定できない
何せこっちは合計25年の人生を犠牲にしたのだから
妬ましくどろどろとした話だけど、彼の不幸を望まずにはいられない

因みに彼が植え付けた観念は俺は絶対的存在だから俺の言うことは疑ってはならないし、反論してもならない。
友達や家族との付き合いよりも、俺との付き合いを優先すべきである。
俺が認めたものは問答無用に価値があり良いものなので、否定してはならない。好きになるべきである。
俺のことを崇めよ、崇拝せよ、尊敬せよ。
俺の偉大さを周りに伝えよとか、宗教的洗脳と同じだよ。
ちなみにかれは草加家計の人間だった。
彼は草加のことを小馬鹿にしてたけど、押し付けがましくて説教臭い奴でもあって煙たがれることもあったし、俺の事を洗脳して、内側から支配しようとしてたので、馬鹿にしてても、知らず知らずの内に草加体質が身に付いていたのだろうな。

モラハラは犯罪だ

モラハラ被害者です
加害者はアメとムチを使い分けて自分から離れられないように洗脳し、自分の支配下に置こうとしてきます。
趣味にまで干渉し人格を破壊してきます。それが人格破壊だと気付くまでに時間がかかります。
気付いた頃には手遅れになっています。膨大な時間を犠牲にします。

モラハラ被害者は皆人生の貴重な時間を無駄にしたと訴えます。
モラハラは犯罪です。断固抵抗しましょう。
[匿名さん] 

24時間化け物に監視されて生きる地獄

これこそが視点死刑の一番恐ろしく厄介な問題で私は24時間彼に監視されている状態である。

何をやるんでもかれの視点が足を引っ張った。何を観るんでも彼の視点が邪魔をした。

私の中に植え付けられた彼以外のものは何一つ受け付けなかった。

喜びも悲しみも苦しみも憎しみも何一つ受け付けなかった。

本を読んでいる時も、映画を観ているとき時も、ゲームをしている時も、こうして文章を打ち込んでいる時でも彼の視点が邪魔をした。

例えば音楽を聴いて感動した瞬間に彼の視点を感じるわけである。自然景色をみて感動した時でも彼の視点を感じるわけである。

逆に何かネガティブな感情を感じたときにでも彼の視点を感じるのであった。

アプリオリにつまり、なによりも先行して彼の視点を感じるわけで、自分の中に殆ど何も残らない。彼の視点によって全て打ち消されるわけである。

これは紛れもなく地獄である。

勉強はそんなに出来る方ではなかったが、物覚えも酷く悪くなりPCもろくに打てない人間になってしまった。彼の視点が邪魔をするからである。

人間生きていれば悩み事の1つや2つもつだろうが自分も例外でなくある問題を抱えているがその問題に取り掛かろうとすると、視点が邪魔をして問題解決に集中出来ないのであった。

辛いことや悲しい事にあった時でも彼の視点が邪魔をした。何もしてない時でも彼の視点が邪魔をした。

とにかくありとあらゆること全ての事柄に関していちいち彼の視点が邪魔をした。

自分の事に集中できないのである。

こんな地獄他にないのではないか?

世界中で私1人だけがかかえている問題ではないのか。

視点死刑懲役25年。私はこんな地獄に25年間も耐えて生きてきたわけである

かまってちゃんと視点

彼はかまってちゃんであった。

とにかく自分に関心を持ってもらいたいらしくちょっとでも彼から関心をそらすと直ぐに注意を自分に向けるように仕向けてくる。
それが鬱陶しくてしょうがなあい。トラウマレベルで鬱陶しいのである。
そんなことがしょっちゅうあるものだから彼が自分の側にいない場合においても常に彼の存在が気になるようになってしまった。

彼はどうも自分のことを理解してもらいたい分かってもらいたいという気持ちが普通の人間よりもはるかに強くて私の中に自分という存在を植え付けようとしていたとしか思えない。

実際に彼の存在が私の中に残って未だに消えないのである。これが、物理的現象ならば植え付けられたものを取り除くことは簡単な作業ですむが、こと観念的現象の場合は取り除くことは容易ではない。

常に彼に監視され試されさらにかまってちゃん的要素まで絡んできた。
ふとしたおりにフラッシュバック現象としてかまってちゃんしてくる彼が甦る。

非常に辛い。他の事に手をつけているときにトラウマが甦る。常に彼の事を意識し側に感じながら生きる地獄である。

いちいちいちゃもんつけてきて鬱陶しい性格

彼はいちいちいちゃもんつけてくる鬱陶しい性格の持ち主だった。

ことあるごとにいちゃもんつけてきた。

マンガを読んでいるとき、テレビを見ているとき、友達と談笑しているときなどいちいちいちゃもんをつけてくるのである。

それが一回や二回ならまだしも会うたびにそうなのだから此方は気持ちがげんなりしてくる。

そしてそのいちゃもんが視点として心の中に残ってしまった。

彼が側にいなくても私に向けられた否定的観念が事あるごとに私の足を引っ張る。

おかげで私は何も出来なくなってしまった。もちろん明るい時期もあったがそれは、彼に対して抱いている観念をほぼ完璧に抑圧していたからである。

私は常に彼の視点に警戒し、緊張状態を強いられた。なんとなく薄暗い靄の中を歩いているような、気の晴れない感覚は中学の終わりぐらいからあったと思う。

明るいキャラを演じつつもなんとなく全てが終わってしまったような感覚、薄暗い霧の中を1人さ迷い歩いている感じとでもいうか、友達と楽しんでいるのだが素直に楽しめない、常にどこか自分を制御し第三者的視点を持ちながら楽しんでいる感じとでもいうか、素直に楽しみに没頭出来ないのであった。

視点死刑の恐ろしさ

視点死刑とは常に視点が心に張り付いた状態のことをいう。

これは考えれば考えるほどに狂気じみている。

どこにいても誰といても何をするんでも心に貼り付いた視点に監視されているのだから。

邪魔で鬱陶しいくてしょうがない。逃げ場はどこにもない。この文章を書いている最中にも視点を感じる。

俺がもっと強ければ視点を弾き返すことも出来たであろう。

しかし、弱い俺はそれが出来なかった。押しに負けていつの日にかこころに視点が張り付いてしまった。

ここから狂気の25年が始まる。無論楽しい思い出はいくつかあるが、ほとんどげんなりしてくるような暗い思いでばかりである

視点死刑がなければ今ごろは今と違ったいくらか楽しい人生を送って居たのかもしれない。

視点が邪魔して何も出来ない。PCもまともに打てない。記憶力も低下しついさっきまでのことま忘れてしまう始末。

海馬が縮小してしまっているんじゃないかと思わず疑ってしまう。意識に連続性がなく視点が邪魔をして途中で分断されてしまう。
なので、何も楽しめない。何も集中デキナイ。

彼がこのような視点を植え付ける意図があったがどうかだが俺はあったとおもう。
自分の元からおれを絶対に離さない為に見えない鎖で首輪で俺を繋いでおくひつようがあり、自分の元から逃げ出さないように常に監視の視点を植え付けた。
彼のの目の届かぬ場所で自分の人生を生きることが許されなかった。自分をありのままにさらけ出すことができなかった。
散々非難を浴びて、人格や趣味を否定され自分をさらけ出すのが、恥ずかしくなってしまったのである。
それからは、陰鬱で憂鬱な日々がかなり長居こと続くこととなる。

彼は見捨てられ恐怖があったのではないか

彼の付きまとい、誹謗中傷、監視癖にはほとほと手を焼いたが、今にして振り返ってみると彼は見捨てられるの怖い病だったのではないかと気がしてくる。

わたしが人間不振に陥り誰とも会話しなかった時期があったことは確か前の記事にも書いたが、そんな時彼は
私の話し相手になってくれるのであった。
心優しき青年が私の為を思って話し相手になってくれるというはよりも、はっきしいって私に付きまとっていた表現の方がピッタリ当てはまっていたと思う。
当時はなぜそこまでわたしに付き添ってくれるか謎だったが、今にして思うと私にしがみついてたと思う。

授業の合間の10分やすみになると。大概の生徒は窓際に集まりわいわいと談笑したりするものだが私は窓際に行かず自分の席に座ってじっと10分休みが終わるのを待っていた。

すると、彼が私の席に来て話し相手に、なってくれるのである。

別に彼のことはつそんなに好きでもなく寧ろ重荷に感じているくらいだったから別に嬉しくもなんともなかったが、寧ろ此方が彼の話し相手になって付き合っているようにも受け取れた。

前の記事にも書いたが彼が私の家に私用で訪れた際に用件もすんで家に買えそうとすると、玄関扉に足をかけて扉を絞まらせないようにした。

心底ぞっどしたが、私は何かとんでもない人間を友人にしてしまったのではないかと非常に後悔した。

最初は自分から近づいて関係を深めたにも関わらず途中からいや気がさしてこちらから関係を切ってしまったのは何とも情けない話だが、会う度に誹謗中傷、自分を大きく見せるための誇大妄想的自慢話、これらのものが重荷にとなって自分にのし掛かってきた。

これ等の全ては私との関係を維持するための工作だったと今では思っているが、当時を振り返ってみると、明らかに自分の都合のことしか考えてない彼が見えてくる。

私は騙されていたのだと思う。彼が次の人間関係構築のために一時の間見えない鎖で私を常に繋いで逃げ出さないようにし、所謂キープ君としての役割を果たしているだけであった。

そしてそのことを心の何処かで知っているのである。当時の写真をみると、それなりに楽しそうにしているのだが(途中から仲間との関係が回復した)、どこか心の晴れないどんよりとしめった空気感が漂っており心の晴れない状態で全身に靄のかかっている感覚であった。