視点死刑 懲役25年

キチガイじみた病に犯された男の記録

彼は私から主体性を奪いたかったのだろう。

彼が今まで私にしてきたことを考えると目的は複数あり、ある特定の1つだけの目的だけで洗脳していなかったことは確かだが、しかし、目的を達成するためには何か巨大な支柱、中心的動機が必要不可欠である。

動機は私を裏側から支配し手懐けておき、自分の都合の良いように利用、支配することだがそれを達成するために必要な中心的目的は私から主体性を奪うことであった。

自分が自分の人生を生きているという感覚を奪い、支配することであった。

まず、主体性を奪うことは彼にとって色々と都合が良かったと思われる。

人間、自分の足で立ちしっかしりとその足で大地を踏みしめ一歩一歩歩いて初めて自分が自分の人生を生きてると実感出来る。

私はその主体性を奪われ、自分が自分の人生を生きている感覚を損失してしまった。

どこか薄暗く霧のかかった靄のなかを歩いているような感覚でちょっとした鬱状態であった。

私からこのように主体性を奪うことは、自分が自分の人生の主人公であるという感覚を奪い、自分の元に常に手懐けておき、好きなように利用することができる、非常に都合のよい人形みたいなものであった。

主体性のある人生とは自分の頭で考え、自分の足で歩くことであるが、私の場合それが不可能になってしまった。

これは彼にとって非常に好都合であった。
裏側から支配するために私にとって都合の悪い観念を植え付けて外部から遠隔操作をする。

実際私は自分を見失い彼の好みそうなものを積極的に自分の中に取り入れようとするのであった。
私は彼の模倣品であり、都合のよい人形でしかなかった。

彼は私の好むものを否定しにかかった。私のマンガ本を投げ捨てる愚行に出ることもあった。その時に抵抗出来なかったのが悔やまれるが、過ぎ去った日々はもう二度と取り戻せず屈辱は受け入れるしかない。

当時のことを思い返すと彼の事を叩き殺してやりたくなるが終わってしまったこといくら後悔してもしょうがない。

深い溜め息が漏れる。

失った時間は返ってこない。自分を見失った25年であった。

取り返しの付かないことをしたと涙に暮れる日々である。